コルドバの歴史
西暦711年、アフリカ北岸からイベリア半島(スペインとポルトガル)に上陸したイスラム教徒は、西ゴート族が建国した西ゴート王国を征服した。
やがてイスラム教徒は、幾つかの軍隊に分かれてイベリア半島を征服して回り、ムギース将軍の部隊が征服したのが、後にウマイヤ朝の首都となるコルドバだった。

モスク大聖堂

当初、鐘楼はモスクのミナレットと(尖塔)として建てられたがキリスト教徒によって鐘がつけられ鐘楼となった。高さ93mの鐘楼は今ではコルドバの街のシンボルとなっている。

モスク西側のファザード
西の城壁では、ゴシック様式の「乳の小門」が際立っている。この様に呼ばれるのは、昔そこは子供を置き去りした場所で、参事会がその子供たちを引き取っていたからである。カリフ様式の「サン・エステーバンの門」、「サン・ミゲルの門」、「宮殿の小門」も素晴らしく絶対に見る価値ありです。

サン・ラファエルの勝利の記念像
言い伝えでは、16世紀に大天使、サン・ラファエルがある宗教関係者の前に現れ、コルドバを保護することを誓って以来、コルドバ市民のサン・ラファエルへの信奉が始まったとされている。

入場した免罪の門の側でガイドさんから見学コースの説明を聞いている参加者。

内側から見た回廊 外側から見た回廊

オレンジの木の中庭
免罪の門を通りオレンジが等間隔に植えられた中庭には、木の周りが円柱にくりぬかれたところへ水路から各木々へ散水される仕組みになっている。

アブデラマン1世による最初のモスクの身廊
メスキータといえば馬蹄型の円柱が856本並ぶアーチが美しい。円柱はローマ時代や西ゴート時代の建物からヒントを得て造られたものだといわれる。
以前の建物には全体で1013本の円柱があったが、キリスト教の寺院をいくつも建てるための改築後は856本に減ってしまったそうです。

マヨール礼拝堂
キリスト教徒により増築された部分。
大聖堂に埋葬され、またキリストの神秘を描いた像で壁を埋めるという信者の願いの結実です。特に注目は、フェルナンド4世とアルフォンソ11世の遺骨を保管するムデハル様式の石膏細工を施した王室礼拝堂。無原罪の御宿の礼拝堂、古い洗礼盤や現在の聖体の秘跡用顕示台。バロック様式の聖パブロ礼拝堂。その他、キリスト信者の信仰と献身の賜物である豊かな芸術財産を有する礼拝堂や祭壇が多数あります。

礼拝堂の円形天井は明るく内部に日が差し込む構造になっている。

カテドラル合唱団席上の天井聖歌隊席と内陣の司教と儀式用の椅子
円柱の森の中央にあり、16世紀に造られた天井。
中央祭壇の丸天井とステンドガラス。

内陣と中央祭壇
建築はアロンソ・マンリケ司教の提案により1523年に始まったが、王室代理官、ルイス・デ・ラ・セルダがモスクの建物を保存すべきだと強い反対の意志を示すなど問題もあった。建築家エルナン・ルイス1世、2世及び3世、ディエゴ・デ・プラべス、またはファン・デ・オチョアに託されました。ゴシック、ルネッサンスそしてバロック様式にカリフ統治時代の構造を見事にとりいれるラテン十字配置図になっています。中央祭壇画はアロンソ・マティアスの企画による制作です。

ミヒラブの控え室の中央丸屋根
中央廊の奥にあるメッカを向いた壁にミヒラブが置かれた。北には正面に、アーケードによって開いた壁が、最初のミナレットがそびえていた中庭に通じていた。
ミヒラブは建築的にも装飾的にも、すばらしい美しさと幻想性で見る者を驚かせる。マクスラ(カリフのための場所)またはミヒラブの控え室には三つの礼拝堂があり、それぞれがモザイクで飾られた丸屋根に天窓を持つ。その中で最も優れているのは中央の天窓で、完璧な幾何学模様を描いている。

ミヒラブ
一番奥のミヒラブ(メッカの方向を示す壁のくぼみ)は通常のミヒラブと違い八角形の小部屋となっていり周りを華やかな金とガラスのモザイクの装飾になっている。

アルフェの聖体顕示台
大聖堂の礼拝、司教参事会または司教が使う品々で構成されている。エンリケ・デ・アルフェの作品で聖体の祝日用聖体顕示台は、今でも街路を行列してまわり、聖体拝領に対するコルドバ人の信仰心を証言します。

見学を終えて出口はラバー素材のスロープが完備され、角度も緩やかで滑り止めが付いていて車イスでも安全でした。